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【2017/04/26 18:44 】 |
私が私であるために私のことを無駄に考える。
どうもおはこんばんちわ。
このブログに宣伝以外で書くのは初めてですね。
というより一回目から一回も書いていない。

今回は誰もが人生で何度も何度もやることになるであろう自分探しの旅。
自己探求の無駄スパイラル。



まぁ私見ですが、正直自分が生きる理由とか探すのは馬鹿らしいもんです。
なんですか?あなたはどこかの漫画の主人公ですか?
それとも何かの大義を背負った夢を持つ平民ですか?
人一人生きるのに理由があるんですか?
じゃぁ飯食うために生きられんじゃねぇの?
遊ぶためにその時まで生きてられんじゃねぇの?
金稼ぐために生きてられんじゃねぇの?
それを繰り返していくのが生きるってことじゃねぇの?
それを繰り返した上に更に夢をかなえるために生きるんじゃねぇの?
生きる理由なんざそこらへんに転がってるもんなんじゃねぇかな?
たかだか生きるだけのために何を御大層に理由を付けてるんですか?
自分が卑小に見える?他人を等身大で見たことあるんですか?
自分の所為で他人が迷惑を被った?他人に迷惑なんて生きてるだけで掛けてますよ?
自分なんて…?自分がどれだけ他人に思われているか解ってますか?

みたいな考え方をしているので、自分の価値とか、存在理由とか探したりしてる人を見ると、馬鹿みたいとは言いませんが、なんかね、無駄な時間を持ってるなと思うわけですよ。
まぁ否定はしませんが、私個人的な見方をすれば馬鹿らしいことなわけで。
そういったことをしている方には本当に申し訳ないこと書いてますが、私個人の意見なのでさらりと流してくれる
と嬉しいですね。

では、何故今回自分探求の旅を始めるのか。
これは生きるために必要なことだと思います。
別に生きる理由とか自分の価値を探すわけではなく、自分がこの世界でどのような立ちまわり方をできるのか、他人の中でどのような存在であれるのかと、そういうことを考えるためのものですよ。
まぁ複雑そうで簡単なことなので適当に流し見してくれればいいと思います。

なんで書くのかといわれると書いたほうが整理つけやすいということですね。
なんで公開するのかというと、さぁ何ででしょうね。
きっと私は目立ちやがりやで、そして私のことをいろんな人に知ってもらいたいからでしょう。


自己探求は基本的に取りとめなく何気なく滅茶苦茶にやっていくので見ると話がつながっていなかったりするので疲れたりするかもしれません。
それだけは注意してください。


先ず、私は基本的に私のことを知っています。
ですが、先日彼女にフラれたとき、一部のことを知ったつもりでいてそうではなかったことが解りました。
まぁ母は前々から知っていた、というか、「昔からそうだった」と言っていましたがね。
よくよく考えてみるとそういう節がなかったわけではない。

何が言いたいかというと、私は基本的に物事を客観的にみると言うことです。
私は私の彼女にフラれたとき、なぜか悲しくも、辛くも、苦しくもなかったんです。
その時実は一回フラれ、前言撤回された次の週のことでしたが、それでも怒りすらなかった。
一回振られた時も、何も思えなかった。
その時、彼女が別の男の人と遊び、そこで告白され、しかし即座に「私には彼氏がいる。」と断れなかったことも聞いた。
その時ですら怒らなかった。
ありとあらゆる事を聞き、愚痴を聞き、文句を聞き、泣きごとを聞き、そして振られ、最後に一度抱きしめ、それに満足感を得、しかし彼女は前言撤回をし、別れることを拒み、そして泣かれ、元に戻り、そしてまた振られ、一人になった。
そのことに何の感情も働かなかった。
私は今でもあの時のことを思い返します。
悔いがあるわけではありません。
自分が何故何の感情も起こらなかったのか。
それが不思議で不思議で。
私はあの時こう思いました。
彼女がそれで幸せならそれでいいと。
彼女は彼女の生がある。
別に私が介入してこの先を狂わすことはないと。
そう思ってしまうと、もう何も思わなかったのです。
彼女が私を拒んだ瞬間、私の中で彼女との人生の関係を完全にシャットアウトしたのです。
だから私が彼女の私情に干渉することもなく、ただただ終わった物として認識し、何も思わなかったのではないのでしょうか?
それとも、本当は彼女のことを何とも思っていなかったのでしょうか?
客観的に見て動くという観点からみると、確実に前者が反映されます。
彼女が私に対して愛情を抱かなくなった。ならば切る。
そこに私の愛情を押すという主観的感情はなかったのですから。
そして何より後者は認めがたい。
一回目に振られたとき、私は最後に一度だけと言って彼女のことを抱きしめました。
その瞬間体中に広がる安堵と幸福感は確かに本物でした。
私は確かに彼女を愛していました。
ですが、その関係を一度切った瞬間に、残った愛情とは無関係に私の心が全て彼女との人生の関わりを断ち、彼女との間には生きていく中での関わりしか残らなくなった。
私はあの時のことをそう推測しています。
客観的でありすぎた結果、何も思わなかった。
周りでただ見ているだけの自分であった。
自分を冷静に見て、その状況から自分と相手の感情を推し量り、その上で関係を断ち切った。
そういうことなのでしょう。
ただ、その話を聞いた人なら、私のことをどう評価したのでしょう?
彼女のことを思って何も言わなかった私を寛容と評価したのでしょうか。
それとも振られたというのに何も思わなかった私を冷徹と評価するのでしょうか。
つまり、私を考えると言うことは、他人にとっての私がどう思われているのかを考えると言うことにもつながるのですね。
そして、客観的に物事を考える私は、よくいえば寛容で、悪く言えば冷徹なわけです。


客観的に見るということに関して。
そんなにしょっちゅう客観的に見ているわけではないと思いますが、恐らく他人の先に関わったり過去につながったりすることや、自己が他者と無意識に関わる場面では客観的ビジョンが発動されていることだと思います。
他人の先に関わったり過去につながったりすること。
それは例えば先ほどの様な恋人間のこと、例えば相談事、そういったことに私情を挟まず、冷静に情報を引き出し、仕入れ、冷徹に判断を下す。
だからそこに怒りや悲しみが生まれず、ただ無情なことも言う。
あるとき、友人にいらぬ手を回したことで嫌われそうだと相談されたことがあります。
そ の時私は、「もしそこで嫌われたのならその友人とは縁を切った方がいい。何せ、良かれと思ってやったことに対して結果も出ていないのにただ恨むような人間 と付きあっても苦しいだけだ。余計なお世話を受け入れられない奴は子供。それを快く受け入れられるようになったら大人だ。」
と言った記憶があります。
嫌われそうと相談している相手に縁を切れとは何とも非情ですね。
私は物事を客観的に見ている所為で人間関係も非常にドライなんです。
一度縁を切った人間に対して何のアピールもしない。
見限った人間も何もしない。
ただ、縁を持った人間に対しては何処までも愛を注ぎます。
相談を持ち込まれても嫌な顔はしませんし、たまにお金を使ったりもします。
その縁を持つ人間が人間的に、技術的に、あらゆることに対して上がろうと思ったのなら全力でサポートします。
そういう現在至上主義なんですね。私は。
書きながら思いましたよ。
過去の人はもういいんですよ。
過去の人でも関係を持っている人や、今関係を持っている人に対して、私は愛情を注ぎます。
未来のことも思わない。
まぁそりゃ多少は思いますけどね。
今つながっている人が大好きなんでしょうね。

あ、さっきから言っている大好きとか愛情とか愛とかは飽くまで母親や友人を想う好きですからね。
恋人などに送る好きではないですからね。
キモがらないでね。



さて、これで私は客観的で現在至上主義だと言うことが解りましたね。
これはつまり他人からすれば、遺恨なく付き合えるということですよ。
ここで今までの考察から浮かび上がった私というものを少し広げてみましょうか。
まず、年上相手には確実に敬語。
これは最早武道家として、日本人として当然のことですね。
逆に敬語を使わない人がとてつもなく嫌いです。
礼儀作法を一から十までとは言いませんが、他人に気を配れる、他人を敬うことのできる人間と言うのが私の最低ラインです。
次に物事に用意周到、慎重。
調べ物などでも、一度調べた内容をもう一度別の場所で調べ、洗い直したり、別視点から調べたりします。
あとは旅行に行くときも経路や時間、周辺等を調べてから行くなどのことは確実にします。
そこの土地や目的地の予備知識なども仕入れたりもしますね。
次に、感情をそこまで表に出さないこと。
先ほど言ったように客観的に物事を見るため、感情はあまり表現しません。
ただ、喜と楽に関しては表立って表現することは多いです。
それが張り付けたものなのかそれとも自然の物かはさておいて。
怒と哀がないのは余裕の表れと取って頂けるとありがたいですね。
余裕がなければ他人を意識しない。
それは都会に来て思いましたよ。
誰もかれもが余裕なく動くから周囲警戒もしない、道を譲ることもしない、止まることもしないんです。
ですので私はできるだけ余裕を持って動き、余裕のある考えをすることを心がけていますからね。
次に、忘れっぽい。
特に名前と嫌なこと。
前者はだめだとして、後者は良いですね。
ただ、私昔は結構なネガティブだったので、その時の嫌な思い出はまだ残ってます。
思い出すと自己嫌悪。
ネガティブに生きていても何も良いことないですしねー・・・。
いまはポジティブ。
まぁそうですね、大体怒っていたり沈んでいたりしても30分ぐらいで立ち直ります。
たまに斜め上方向に立ち直りますが。
次に加虐思考とかなり強めの理性。
私が一部の物から究極加虐生物などと言われそうな勢いでドSなのはご存じでしょうか。
すでに肌で経験した方もいらっしゃるかもしれませんが、私はドSです。
それも言葉や行動で終わるようなエセSではなく、殴ったり、蹴ったり、果ては切断したりまで望むようなドSです。
親しい人はには10段階で表現しますが、10段階目まで来ると「狂ってる勢いのSやね」と言われました。
ええ、ある人にはドゥSと呼ばれ、ドゥの部分にはドが∞と入っているようです。
うーんそこまでSなことしてないんだけどなぁ。
ただ、かなり犯罪的レベルなSなのですが、聖人以下、一般人以上の理性を備えています。
ある意味その強靭な理性の果てが「客観的思考」なのかもしれません。
どれぐらいかと言うと、少なくともこの4年間本気でキレてないのと、彼女にまだ手を出さないでと雰囲気が出来上がっている状態で言われても耐えられるレベルですね。
現在加虐欲、暴力欲、戦闘欲、性欲を抑えるため絶賛フル稼働中です。
多分理性がなかったらもう朝のニュースに出てます。
最近結構危ない想像してやばいと思ったこともしばしば。
そろそろ限界なので誰か私と勝負してください。

このぐらいでしょうか。
あとは、そうですね。
思考癖があったり、後は物事を深く掘り下げる割に物語を額面通り受け止めるところがあります。
本とかそういうものを批判する人の気持ちが解らない。
ストーリーが悪いとか、そういうのを思わないわけじゃないですが、別にそんなにやんややんやいうほどの物もないと思うんですよね。
バキとか、ガンダムSEEDとか、天上天下とか、こう興ざめする人とか文句言う人が結構いる奴でも普通に好きですし、普通に見ますし、楽しんでますしね。
よく言えば純粋に物語を読んでいます。
悪く言えば考えないで物語を読んでいます。
推理小説とか推理しない。
思考癖はツイッターとかで見る些細なことから、ニュースまでいろんなことを考える癖。
尖閣諸島問題で色々調べたり考えたり、人の進路で親が出てくるのに色々考えたり。
目に付いたものを色々考えます。
そんなことをするので人からは「頭のいい人」と見受けられますが、それも一つのステータス。
一般教養、雑学、思考などでは高いポテンシャルを誇りますが、学問という分野では低いです。
そういう自負。

あとはなんでも好きなものは好き、嫌いなものは嫌いで一直線なところですかね。
これは後者は直したい。
例えば、私はボクシングやプロレスと言った西洋格闘技を野蛮視していて嫌いでほとんど見ないんです。
あとは音楽とかは好きな曲はどんなジャンルでも聞くとか。
他にはチャラ男っぽい人間は全てDQN統一してしまうとことか。
DQNは嫌いですよ。邪魔で、社会的反抗期とでもいえばいいのでしょうかね。
という差別にも似た思いも一向に払拭できませんし。
一途、というわけではありませんが、少々嫌いなものに関しては頭が固いと言わざるを・・・。
ただ、他のことに関しては結構他人の意見を取り入れる節がありますね。
柔らかかったり硬かったり。

さて、これで結構私と付き合える人と言うのが見えてきますね。
どんな人がとはここでは言いませんが、私と本気で付き合える人と言うのは、「良い人」と良い意味で「面倒な人」が多いんじゃないでしょうか?
結果を見る限りですがね。
こうやって考えるのも良いですね。
自分との付き合い方をしっかり考えることは重要です。
それはもう世界との付き合い方を考える以上に。
なにせ一番近くて一番見えない存在なのですから。
こういうことはしっかり客観的にいい方向に考えないといけません。
主観的に悪い方向に考えると生きる気力を無くしますからね。
そういう自身がない人はあまりお勧めしません。
何せ自分は自分を嫌いになりやすいですから。
重要なことですが、嫌いになるよりははるかにいい。
良い方向にと言わないまでも、自分のことを無情に、冷徹に何も思わず見ることが大切です。
変に偏って見てしまって変なスパイラルに陥る人も少なくはないですからね。

以上今回の自己探求でした。
繰り返しますが、自己探求は基本的に取りとめなく何気なく滅茶苦茶にやっていくので見ると話がつながっていなかったりするので疲れたりするかもしれません。
それだけは注意してください。

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【2010/11/10 01:09 】 | 考察 | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
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